(16)「認識的(エピステミック)モダリティ」に関する問題
📖赤本(第4版)関連箇所:〚モダリティ〛P84~
赤本では、「認識的(エピステミック)モダリティ」と「拘束的(デオンティック)モダリティ」という分類をしておらず、どちらの用語も出てきませんが、慌てることはありません。
問題文がそれらの用語を説明する形になっているので、焦らずに問題文をよく読みながら設問に臨みましょう。
問題文によると、認識的(エピステミック)モダリティとは、「事態の真偽に対する判断に関わるものを表わす」ということです。さらにその先には、「<確信>を表わす「にちがいない」と「はずだ」はどちらも認識的(エピステミック)モダリティである・・・・」と具体的な例まで記載されています。
このような問題は自分で例文を2,3個考えて判断するのがいいと思います。
1 「べきだ」の例文を考えてみましょう。「好きな人に告白す(る)べきだ」「間違いを注意す(る)べきだ」「目上の人に敬意を払うべきだ」など。いずれも「したほうがよい」、「しなければならならい」という義務的な意味であって、「事態の真偽に対する判断に関わるもの」ではないことが分かると思います。
2 「のだ/んだ」の例文を考えてみましょう。「具合がわるいんだ」「寝坊したんだ」「検定に合格したんだ」「彼女ができたんだ」など。「のだ」よりも「んだ」の方が一般的な気がします。選択肢の例文「それでいいのだ」なんて言い方をするのもバカボンのパパぐらいなのではないでしょうか。いずれにしても、例文を考えて見れば、「のだ/んだ」は、「事態の真偽に対する判断に関わるもの」ではなく、原因や理由を説明するときに使われていることが分かると思います。
3 同様に「なさい」の例文を考えてみると、「勉強しなさい」「肉だけでなく、野菜も食べなさい」「自宅待機しなさい」など、「命令」を表わしていることが分かります。「事態の真偽に対する判断に関わるもの」ではありません。
4 「まい」もあまり日常的には使う表現ではないかもしれませんが、「この様子だと雨は降るまい」「このままでは助かるまい」の様に、「はずはない」(「はずだ」の否定形)として使われることが分かるので、「まい」は<確信>を表わす認識的モダリティの否定形であると判断できます。
したがって、正解は4になります。
(17)「にちがいない」と「はずだ」の意味の違いに関する問題
📖赤本(第4版)関連箇所:〚確信のモダリティ〛P86、〚間接発話行為〛P135
「にちがいない」と「はずだ」の意味的な違いを問う問題です。この問題で注意すべきことは、空欄を含む一文が、取り立て助詞の「も」が使われていたり、程度副詞の「より」が使われているということ。
「前者は(ア)的な意味も表わせるのに対し、後者はより(イ)的だと言われる」
つまり、これを分かりやすく言い換えると
「後者「はずだ」は(ア)的な意味は表せないが、前者「にちがいない」は(ア)的な意味を表わせる。
両者とも(イ)的だが、どちらかと言えば後者「はずだ」の方がより(イ)的だと言われる」
ということであり、「にちがいない」と「はずだ」には微妙な違いしかないということです。
よって、この問題は難しいと言るのではないかと思います。
では、この問題も例文を作ったうえで、選択肢をひとつずつ吟味して行きましょう。
例文)「彼が犯人にちがいない」「彼が犯人のはずだ」
1 間接的/直接的というのは、たとえば、人に時間を尋ねるときに、「いま何時ですか?」と聞くのが直接的、「時計持ってますか?」と聞くのが間接的ということです。人に何かを借りたいときに、「〇〇貸してください」というのが直接的、「〇〇ありますか?」とか「〇〇持ってますか?」と聞くのが間接的な表現ということになります。このことは、赤本P135「間接発話行為」に詳しく記載してあるのでよく確認しておきましょう。
「にちがいない」と「はずだ」については、「彼が犯人にちがいない」や「彼が犯人のはずだ」の例文が表す通り、両者とも直接的な表現であり、間接的な意味を表わすことはできません。もし「彼が犯人だ」ということを間接的に言うとすればどうなるのか・・・・・・考えてみるといいのではないでしょうか。
2 直感的というのは根拠がない思いつきのことで、論理的というのは根拠があって筋道立っていることです。
「彼は犯人にちがいない」は、アリバイや動機、情況証拠などから論理的に使うこともできるし、何の根拠もなく思いつきで使うこともできる表現です。しかし、「はずだ」は直感的には使えません。
もし、「彼が犯人のはずだ」と言ってその根拠を尋ねられたときに、「なんとなく」と答えたならば、「なんじゃそりゃ!!」とズッコケること間違いありません。
つまり、「にちがいない」は根拠がなくても使えて、「はずだ」は根拠なしでは使えないわけですから、「はずだ」の方がより論理的とする選択肢2は適当と言うことができると思います。
3 「婉曲」というのは、断るときなど否定的な語句を用いず柔らかく表現することです。たとえば好きじゃない人からデートに誘われたとき、「あなたのことは好きじゃないので無理です」と直接的にはっきり言うのではなく、「その日は他に予定があるので・・・・」と言ってやんわり断ることです。
「にちがいない」にそのような用法はないので、選択肢3は適当ではありません。
4 「客観」的というのは誰もがそうだと思えることで、「主観」的というのは自分ひとりだけの見方・感じ方のことなので、客観的は論理的、主観的は直感的と言い換えることができるでしょう。つまり、選択肢4は選択肢2の(ア)と(イ)を逆にしたものなので、適当ではありません。
したがって、正解は2になります。
ちなみに、赤本P86には以下のように記載されていますので、確認しておきましょう
①~はずだ(話し手が客観的な証拠に基づいて推測した結果の確信)
・家に明かりがついているから、誰かいるはずだ。
②~にちがいない(主観的な思い込みでもよい確信)
・雰囲気からして、山田さんは公務員にちがいない。
(18)「述部の認識的(エピステミック)モダリティに対して働く副詞」に関する問題
📖赤本(第4版)関連箇所:〚陳述副詞〛P35
問題文の「述部の認識的(エピステミック)モダリティに対して働く副詞」というのは、分かりやすく言い換えると、「文末と呼応する副詞」つまり「陳述副詞」のことですね。
「たぶん」であれば文末は「~だろう」、「もしかして」であれば文末は「~かもしれない」というふうに、文末の表現とセットになる副詞です。
では、選択肢を見てみましょう。
1 「めったに」は「ない」に対して働いて(呼応して)います。述部の認識的(エピステミック)モダリティである「だろう」に対して働いている(呼応している)わけではないので、設問に対する例として不適当と言えます。
2 「どうやら」は、述部の認識的(エピステミック)モダリティである「らしい」に対して働いて(呼応して)います。「どうやら・・・・らしい」
3 「まさか」は、述部の認識的(エピステミック)モダリティである「よね」に対して働いて(呼応して)います。「まさか・・・・(ない)よね」
4 「きっと」は、述部の認識的(エピステミック)モダリティである「よ」に対して働いて(呼応して)います。「きっと・・・・よ」
したがって、正解は1になります。
(19)「拘束的(デオンティック)モダリティ」に関する問題
問題文を一通り読んでみると、(19)と(20)は「拘束的(デオンティック)モダリティ」についての問題で、(19)は「拘束的(デオンティック)モダリティ」についての説明、(20)は「拘束的(デオンティック)モダリティ」の具体例を選ぶ問題ということが分かります。
よく分からない用語の意味や用法などを説明するときに、辞書的な意味を言葉で説明するよりも、具体的な例や実際の使われ方を示す方が分かりやすいことが多いです。
「認識的(エピステミック)モダリティ」の場合も、「にちがいない」や「はずだ」という具体例が、その意味を理解する大きな助けとなったのではないでしょうか。
であるならば、もし「拘束的(デオンティック)モダリティ」のことが何のことだかよく分かっていなければ、その具体例を選ぶ(20)から解いていくのが得策と言えます。
したがって、先に(20)をやってから、(19)に戻りたいと思います。
(20)拘束的(デオンティック)モダリティの具体例を選ぶ問題
「主語に課せられた拘束<必要>」と「拘束からの免除<許可>」のモダリティの具体例を選ぶ問題です。
(ウ)「なくていい」は、「あってもいいけど、なくていい」「してもいいけど、しなくていい」というように、そのベースには「どっちでもいい」という考えがある表現なので主語を拘束するものではありません。一方、「なくてはいけない」は、「そうしなければならない」「そうしなさい」と主語を行動を拘束するものです。
(エ)「ほうがいい」は、「してもいいけど、しないほうがいい」というように、拘束からの免除を表わすものではありません。一方、「てもいい」は、「帰ってもいいよ」などのように、帰れない状態(=拘束)から、帰ることを許される(=拘束からの免除<許可>)を表わすものです。
したがって、正解は4になります。
(19)「拘束的(デオンティック)モダリティ」に関する問題
では、(20)から得られた拘束的(デオンティック)モダリティの2つの具体例「なくてはいけない」と「てもいい」をヒントに、(19)の各選択肢を見ていきましょう。
1 「私は働かなくてはいけない」というように、話し手自身の行為の意向も表わせるので、選択肢1の記述は誤りです。
2 「働くなければならない」とも「働いたなければならない」とも言えないので、モダリティ形式の前にル形とタ形のテンスの対立は持たないとする選択肢2の記述は適当と言えます。
3 「なくてはいけない」や「てもいい」は、「にちがいない」や「はずだ」、「まい」などに後続しないので、選択肢3の記述は適当ではありません。
4 「私は働かなくてはいけない」というように、一人称でも使えるので、選択肢4の記述は適当ではありません。
したがって、正解は2になります。
0 件のコメント:
コメントを投稿